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●防腐剤(パラベン)は危険?化粧品業者が本音を語る!!
びっくりしました。
添加物って何でも悪いってイメージがあるのですが、別の視点から見ると、それは必要な場合もあるってことです。
しかも、すごく身体に悪いのかと思っていたら、今はどんどん改良されていて、そんな悪いものはないってこと。(一応国の検査機関をクリアしてるんですからね)
知らずにいると、ドンドン逆のことをしているかもしれないスキンケア!
こちらの化粧品が良い悪いではなく、世間が知らない化粧業界の内側をちょろっと覗けるのが気に入っています。(笑)
1.種類にこだわらずに保湿を重視した商品を作る
2.お客さんが誤解するような商品を作らない
3.鉱物油、合成着色料、合成香料、アルコール(エタノール)を入れない
4.しっかりと防腐剤を入れる
5.キャリーオーバー成分も調べて原料を厳選する
6.石油系界面活性剤を配合せずに作る
7.たっぷりと水分を与えると同時に、その水分を維持するために良質で適度な油分を配合する
この7つのお約束の原点が知りたい方はこちらへ〜(笑)
でも、冗談抜きで、びっくりしますよ。自分の思い込みに。正しい知識は大切です。

2006年10月17日

進む道

進む道がどれなのかわからなかった。

ただ、単に毎日をムダに過ごしていた。
考えるのもイヤだった。
考えていないわけではなかったけれど、考えることを止めようとしていた。

そんなとき、ネットで仕事の調べものをしていて、メルマガというものがあることを知った。それも普通の個人が出しているメルマガ。
まぐまぐを利用して発行しているものだった。

私がほんとにネット社会に接した瞬間だった。

ただの検索機能と暇つぶしのネットではなく、学び、出会い、進む道。



あの瞬間に、あのメルマガに触れて、私の目は開かれた。

私にも、まだまだ出来ることがあるということ。

諦めてこの場所に留まらなくてもいいんだということ。



そして、そのメルマガがまた道を開いた。

ある人物との出会い。
出会い、なんて簡単に言えるものではないかもしれない。
向こうにとっては、何千人の中の一人の私のことなど、既に記憶のはるか彼方だろうから。

でも、この人との出会いが、私にスイッチを入れてくれた。


そして、この人を中心に多くの仲間を出会った。

今の私の原動力の一つだ。




今こうして、ブログを書き、サイトを作っていろんなことをしている私は、あの一年前のこの出来事がスタート地点だ。

そして、こうしてもがいている内に、とうとう私に離婚を決断させることとなったのだ。



進む道とは素晴らしい。
変化を求めて、なんとかしようともがいていると、開けてくるものだ。
それも、抜群のタイミングで。

今のこのタイミングでないと、分かり合えないことや、すれ違ってしまうことがたくさんあったと思う。

タイミングが合って、繋がると一気に変化する。

この変化を恐れずに進みたい。



少し前の私なら、たぶん、変化を恐れて進まなかっただろう。
今の私は進んでいる。

この違いは、やはり、タイミングとしか、言えない。

もがき苦しみ、涙を流して、私のステージが上がっていったのだと思う。
その位置にたどり着かないと見えてこない真実。

私は、ちょうどその位置にたどり着いた瞬間だったのかもしれない。





私は、離婚したばかりで、まだ何も出来ていない。
しかも、かなりの見切り発車だった。

でも、後悔していない。

なぜなら、進むべき道が見えてきたから。

見えた道を見据えて、ソコに留まることは出来なかった。



そして、支えてくれる仲間達がいる。
信じることができる仲間がいる。

私は幸せモノだ。




さぁ、ココから幸せの嵐を起こしたい!
今の私の願いはひとつ。

よりたくさんのヒトが幸せの状態にあって欲しいから。



まずは、自分が出来ることから一歩ずつ。
自分が成功の階段を昇っていくこと。

自分が幸福でなくて、どうしてヒトを思いやれようか。

自分の状態を整えて、それからじゃないと、周りのことを思いやれない不器用な私。それは仕方がないとしか言えないけど、与えてもらった愛を何倍にも大きくしてお返ししたい。

そして、より多くの人たちの手助けをしていきたい。


どんなことより最初にすべきは、自分の足でしっかり立ち上がること。
自分を律して自律すること。
posted by Rr at 22:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月15日

感謝の想い

子どもに手がかからなくなってくると、自然と彼に目線が行くようになった。当たり前のことだが、私には苦痛の時間の始まりだった。

そして、彼に、元ダンナに子どもはよくなついていた。
これも当たり前のことだが、私には苦痛でしかなかった。

既に、この辺りから、私はココロを殺しきれていなかった。
抑えこんでも抑えこんでも、溢れるように出てくる悲しい想い。。。

私は彼を愛していない。そして、彼も私を愛していない。





愛の無い夫婦の間で、子どもを幸せに育てていけるのか?
私は悩んでいた。

形だけの家族で、子どもを幸せにできるのか?

愛情の無い生活が子どもを幸せに出来るのか?



毎日が自問自答の日々だった。



そして、もう一つの問題。
―――経済力




経済力の無さのために、愛の無い生活を続けて人生を諦めるべきか。
経済力のためだけに、子どもに愛の無い家族関係を続けていくべきか。




悩んでいた。

どこかで、どうにかなるだろう、そんな甘い考えもあった。



そうして、ムダに時間が過ぎていった。

いえ、ムダでは無かった。今考えると。

あの時間が、今の私を創っている。あの時間が無かったら、今の私は居ない。




日々の生活の中で、私は闇に紛れてもがいていた。
作り笑いの顔で、ゆがんだ精神を隠していた。



彼は、いい父親だ。
ギャンブルで荒れることも無い。
大酒飲みで暴れるわけでも無い。
女遊びをするわけでも無い。
給料を入れないわけでも無い。
もっとも、見栄っ張りなので、無駄な借金は多かった。

こうして書き上げると、何故私はこの人を愛せないのか、理解に苦しむかもしれない。
でも、彼のパートナーは私ではないのだ。
不思議な実感があった。

最初から、本物の愛がなかったから。
原因はこの一点だった。

同情が全ての始まり。
結局同情から本当の愛は生まれなかった。

私が、悪いのだ。


愛情と同情を取り違えたことが、全ての始まりなのだから。



でも、彼との出会いが無ければ、今の私は居ないのも事実だ。
今の私を作り上げたこの時間は、ある意味私にとって大切な時間だったのだ。この時間が無ければ、出会うべき人とも出会えないのだから。

本当に人を生かす愛とは何か、そんなことを考えさせてくれた。
同情と愛情は似て非なるものであることも学んだ。

彼が居なければ、愛についてこんなに深く悩み、もがき、苦しまなかった。

その状態が、今の私を作り上げている。

今の私は、元ダンナである彼にとても感謝している。
逆説的だが、彼が居なければ今の自分が居ないのだ。
彼との時間で、悩み苦しみもがいた私が居たからこそ、今の私があって、子どもも居るのだから。
私の人生に、彼は必要だったのだと思う。

そして、彼が居たから、私に別の世界が広がってきたのだから。

彼が優れた人で、ココロから尊敬できたなら、私はなんの行動も起こさなかっただろう。起こす必要がないのだから。

彼の存在が私に行動を起こさせた。
私は、とても感謝している。
posted by Rr at 21:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月14日

子どもの存在自体が愛全て

案ずるよりも産むが易し


私の場合、字面どおりの意味ではなかった。

産んだら、子どもに目がいって、彼どころではなかったということ。
心配しなくても、彼のことで煩うことはなかったのだ。

初めての子どもだから、判らないことだらけ。
とても彼について、思い悩んでいる場合ではなかったのだ。

産後、1ヶ月で職場復帰。
おまけに、子ども付で出社していた。

子どもを背負い、電話を受け、オムツを取り替え。。。
(ちなみに布オムツで頑張りました♪)

そんな毎日に忙殺されて、彼のことなどどこかに飛んでいた。

忙しすぎる、というのも、時にはココロの休息となる。

身体はヘロヘロに疲れ果てていたが、ココロは充実していた。




私は久しぶりに、生き生きとして楽しんでいた。この生活を。
子どもの世話に忙殺されることで、考えるヒマがなかったのだから。

彼もまた、子どもが実際に目の前に現れたことで、少しずつ変わっていった。私には、そう見えていた。




日々成長していくわが子を世話しつつ、その成長の早さに目を見張りつつ、月日は過ぎていく。



子どもの存在それ自体が愛全てなのだ。



ふと、幸せってこういうことなんだろうか、そう感じたこともあった。

穏やかな日々だった。

   産んでよかった。

そう、思っていた。ココロの底からそう思った。
  それは、今では多少違う意味を含むが、
  【産んでよかった】という想いは本物だ。


まるで、陽だまりの中に佇んでいるかのような、そんな錯覚さえ覚えた。








このまま、時が止まればよかったのに。


一度目覚めた眼は、子どもの眩しさに目を眩ませていただけだった。
そう気づくのに、そんなにかからなかった。


眩しい光の中に居ても、その内に目は馴れてしまう。
はっきりそれを体感してしまったのは、子どもが満3歳を過ぎた頃だった。



何故、そうなってしまったのだろう。
彼も変わったはずなのに。

変わったはずなのに。

そう、同じように私も変わっていたのだ。
いえ、変わっていた時点へ私は戻ったのだ。


一旦交わって、寄り添って進んできた道が、また離れ始めたのだ。
時々交わりそうになりながら、それは次第に距離を置き、やがて、どうしようもない位、離れてしまった。

向いている方向が、全く異なるのだ。

もう交わりようも無いくらい、それは隔たっていた。



子どもの存在が、唯一二人をつなぐ愛となっていた。
それは、まだ子どもが小さいから繋がる愛だった。

全力で抱きついてくる子ども。
全身で親を求める子ども。

そんな姿を見ていると、私の想いに歯止めがかかったのだ。
posted by Rr at 23:12| Comment(3) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

変わることを願って

子どもが産まれるまでの間、私は必死に想いを変えようとしていた。

たとえ、それが私の人生を後退させるものであったとしても、子どものために、ココロを殺した。

それをするしか、私には方法が無かった。

うわべを取り繕っていれば、以前のように思い込めるだろうと思っていた。



でも、一旦目覚めてしまった眼は、二度と閉じなかった。
いくら、ココロを殺していても、想いは深いところから噴出してきた。
ふたをして押し込むしかなかった。

そうなってくると、もう他力本願しかなかった。

私は、彼がきっと子供を持つことで変わってくれる、変わって欲しい、そう願った。いえ、きっとそうなるはずだから大丈夫だと思い込んだ。変われば私も変われるから。そんな都合のいいことを考えるようになった。

深く考えるとどんどん暗くなる。だったら楽観的に行こう。
そう思ったわけではないけれど、結果的には楽観主義だった。

考えることに疲れていたのかもしれない。



そんな日々を経て、出産を迎えた。
いえ、正確にはそんな日々なのに出産を迎えてしまった、という方が正しい。

私は、母親になれる自信が全く無かった。



時間は、誰にでも平等に流れていた。

私に自信があるとか、無いとか、準備が出来ているとか、いないとか、時間にとってはなんの関係も無かった。




出産は、なんの問題も無く、お医者様も驚くほどの安産だった。
産まれてしまった子どもを見て、私は覚悟を決めざるを得なかった。



ここまで来たんだ。
すべきことは分かっている。
この子と共に前に進んでいくだけなのだから。


どこへ繋がる道か、判らなかった。
ただ、どうしなければいけないのか、それだけははっきりしていた。

でも、それを成し遂げる自信は無かった。



立ち止まることは許されない。
もう、一人ではないのだから。


私の人生はこの子の人生と共にあるのだから。
posted by Rr at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

想いを変えて

私は、【産む】という決心をした後も、やはり心はずっと揺れ動いていた。

  堕胎すれば、楽になる。
  楽になって、自分の人生を進んでいこう。
  身軽に新しい道を探そう。

何度考えただろう。



でも、実家へ報告に帰郷したとき、決心は揺るぎがたいものとなった。



父は、顔を見るなり、母に向かって、
―明日、連れて行け。堕ろしてこい。

無表情で言った。




実は、この数ヶ月、父は私をなんとか連れ戻そうと、いろいろ画策していたのだ。私がココにいたら不幸になる、いや、今現在不幸のどん底だから、なんとかココから離れさせようと、父なりに動いていたのだ。

暗い顔をしている私に、両親はしっかりと気が付いていたのだ。でも、その話題には触れずに、両親は全てを私に任せていた。一人の大人として。
自分の行動には自分で責任を取れる教育をしてきたという、両親の自負があった。

それでも放っておけず、父はなんとかしようとあちこちに働きかけてくれていたのだ。



私は、その父の意向を見事に裏切ったのだ。

自分の意思ではないにしろ、結果は裏切りの何物でもない。いまさらそんなことを言ったって、言い訳にもならないのだから。


父は、もちろん今でも、娘である私をものすごく愛してくれている。
昔と変わらず、不器用ながら愛情を示してくれている。


そんな父を私は裏切ったのだ。
でも、【堕胎】には応じられなかった。

それは、こんな私にも目覚めた母性愛、だったのだろうか。。。


ただ、瞬間的に、
―この子を守れるのは私だけ!!
そう感じたのだ。


だから、その瞬間に、私は想いを変えた。
私の人生ではなく、まずはこの子の人生だと。

そのときから、この子を産むための条件を全て飲もう!そう決意した。




そして、私は自分のココロを殺した。
同じ女である母にも悟られぬように、私は幸福感を演じ続けた。

そう、まるで子どもが欲しくてたまらなかったかのように振舞った。


実は、その一年前、私は不妊症かもしれないという診断を受けていた。
治療して、ひょっとすると妊娠できる身体になるかも知れないという、女として過酷な宣言を受けていたのだ。

それが、たった一回のあの夏の行為で宿った命。
愛に満ちた関係ならば、手放しで喜ぶ奇跡だったはず。


もしかすると、この子が私の生涯最期の子どもかも知れない。

そんな思いも、よりこの子を守らねばという意識に強く働きかけたのだ。





妊娠7ヶ月目、私は入籍をし、実家の近くで両親のために披露宴を開いた。
まるで幸福の絶頂のような笑顔で臨んだ披露宴だった。




ココロをひたすら殺した。
深く考えるのを止めた。
子どもだけを見つめ続けた。


私の人生は、この子の人生とばかりに、二人の人生を重ね合わせていこうとしていた。
posted by Rr at 01:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月12日

弱さと強さ

ここにいても、私の未来が見えない。

そう確信して、そのために行動を始めた。




とにかく、離れる時間を多くした。
実距離を置かないと、すぐに以前のココロの状態に戻ってしまう。

それだけは、避けたかった。

やっと自分で気づけたんだから、間違いに。
幸福だと信じて疑わなかったことが、実は、不幸の入り口だったという事実。

無我夢中だった。吹っ切るために。

今まで浸かっていたぬるま湯の居心地の良さに引きづり込まれないように。真綿でジワジワと締め上げるように、私の精神を縛り上げていた、あの不幸の中の幸福感。。。

彼は、そんな私の変化に敏感に反応していた。
そして、今までと同じように、なんとか私の関心を引こうともがいていた。

私は、見なかった。

見たら、また元に戻ってしまうから。
その時点の私には、彼のその行動が甘い蜜に見えてしまうから。。。。




そう判っていたのに、即座に別々に生活すべきだったのに、私は、それに踏み切れなかった。それが私の弱さだった。

そう、私の弱さが全てその一点に現れていた。




結果、私は身ごもってしまった。

―――望まなかった妊娠―――




自分自身が一番ショックだった。

精神的に、すでに別れるつもりでいたし、その準備も始めていたから。

その時点で何を言ったって、言い訳にしかならない。
時間は急に止まってしまったのだ。
私に選択の余地は無かった。





私には、宿った命を、私を選んできてくれた命を絶ち切ることが出来なかった。いえ、絶ち切る権利を、私は最初から持ち合わせていないのだ。

その命が、この世に誕生するかしないか、それを選択するのは、私ではなく、その命だから。私は、ただ、この世に産まれ落ちるためのお手伝いに過ぎない。

親に子どもの誕生の有無を選択する権利は無いのだ。
命は親の物ではなく、子ども自身のモノだから。

その小さく新たな命は、産まれるために私の元へ来てくれたのだ。
新しい人生を始めるために、天から使わされた命なのだから。
人生もまた、子ども自身のモノだから。
親はその手伝いをしてあげるしか、できない。

そんな命を私は絶ち切ることは出来なかった。

命を断ち切るということは、その命が歩むはずだった人生も取り上げて闇へ葬り去るのと同じことだから。
私にそれを施す権利は、無い。




全てをこの命に託した。

私に縁があってこの身体に宿ってくれたのなら、私は喜んでこの命をこの世界へと導こうと決意した。

ただはっきりと判っているのは、この命が産まれるまでに、出来る事をしなくてはいけないという時間制限があるということだけ。





彼は、驚いていた。

そして、背負わされた責任に潰れかけていた。




彼が言ったひと言がある。
―――産むのかよ!!




私は自分のココロを殺した。
うまれくる命のために、私はなにをするべきなのか、何ができるのか、見極める時間が無かった。

私が出来たのは、自分のココロを殺すだけ。

命を産むために必要なことだった。



――――未婚の母は許さない!
両親のコトバだった。

両親に逆らえるほど、私は強くなかった。
いえ、逆らうことは悪であるという、無駄な思い込みがあった。
それは逆らうということではないのに、私はそう思い込んでいた。




私がすべきことは決められていた。


彼との結婚と出産だった。
posted by Rr at 02:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月11日

存在していない愛に気が付いて

次第にギクシャクしたものとなっていった私たちの間。

私はおもてに目が向き始めていた。

でも、それは決して目が覚めたからではなかった。

その時点でもなお、私は彼をコントロールしようと試みていた。




なんとか、彼を立ち直らせよう。
そんなフリをしていたのだ。私の本心はきっとそんな醜悪なものだ。

周りから
――大変だね。こんなオトコのどこがいいの?
――出来の悪い彼を持つと苦労するね。君はえらいよ。
――彼の変わりに頑張っている君は素晴らしいよ

そんな評価を貰うために、きっと私は頑張っているフリをしていたのだ。

なぜなら、私のそういった行為は、決して深い愛から生じたものではないから。ただの同情心。私の虚栄だ。

何度同じコトで裏切られても、健気についていくフリをしていたのだ、きっと。そして不幸な女を演じ、同情を買うことで私の幸福度は高まっていった。

不幸な自分を哀れんでくれる周りがあったから、こんなに長く、愛の無い関係を続けてこれたのだ。

不幸な自分を愛する私。

それがこのときの私だ。

愛の無い関係に身を置いていながら、それゆえに愛を求め、求めた愛が同情だったのだ。

最低レベルの愛情関係。

信頼感も安心感も連帯感も思いやりも、全て存在しない虚栄の関係。

そんなことを6年ほど続けていたとき、とうとう私は自分の今の状態に終止符を打たねばならないと気が付いた。

それなりに、時間をかけて学んでいた、ということなのだろうか。
同情し同情されることに、未来が見えないということをはっきり自覚した。

次第にオモテに目の向いていた私は、ソコに彼を立ち直らせるためという思い込みをしている自分にようやく気が付いたのだ。

彼を立ち直らせるためにしているのではない、という事実。
自分のことしか考えていなかったという事実。

彼を愛するが故の行動ではなかったという事実。

ココロの奥底で気づいていながら、目を背けていたのだ。
そう、不幸を愛し同情されることで簡単に幸福感を得ていた私は、ずっとぬるま湯に浸かっている状態だったのだ。

今のままが気軽でさほど困っていないから、変えたくない。

そんな怠惰な感情も手伝って、奥底で愛の仮想関係に気づきつつ、それがどんなに自分に不幸をもたらし、その不幸から周りが不幸に汚染されていくという事実を知りえなかったからだ。



ようやく目覚めかけた私は、すばやく行動することが求められた。
不幸の連鎖を断ち切るには、何事にもおいてスピードが命のはずだから。
posted by Rr at 07:32| Comment(0) | TrackBack(4) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

愛し愛されるということ

もし、私たちの関係に、愛し愛されるという関係があったなら、この関係は崩れなかった。当たり前のことだけれど。

私は彼に同情したかったし、彼は私を縛りたかった。

これは愛という感情で繋がっているのではないのだ。
決して深い愛情で繋がっているのではなかったということだ。

どこにもお互いを思いやるという感情も無く、尊敬するという感情も湧かない。ただ、怠惰に毎日を過ごしているだけなのだ。

生活はしている、けれども、そこに有意義な感情も、精神的な充実も無かった。




私は20代という、言わば女の華盛りを全て彼に捧げていた。
若すぎたのだ。愛ということに目覚めるのに、私はあまりにも無知だったのだ。

周りの友人に、愛はこんな形じゃないと言われても、見えなかった。ほんとの愛といえるものが。



でも、だんだんと突発的に別れたくなる衝動に駆られた。
そんな気持ちを、私は抑えこんでいた。



今思うと、あの時どうして勢いに任せて別れられなかったのかと後悔している。
でも、きっと、あの時点では私には別れることができなかったのだ。
私には、別れるということは、彼を見捨てるということになる、という傲慢な思い込みがあったのだ。

自分のココロのほんとの姿も見えていないくせに、愚かにも私は他人の心をなんとかコントロールしようとしていたのだ。私はこんなに頑張っているのだから、認めなさいという無言の圧力をかけていたのだ。

全ては同情という感情から湧き出てくる自然なココロの動き。

ソコには、相手を思いやり慈しむというココロが無かったのだ。

同情は一見思いやりのように見える。
けれども、その想いの底に、相手に対する深い愛情〜全てを許す〜そんな愛情が無ければ、それはタダの自己満足の世界。

――どう?私はこれだけあなたのために働いて頑張って支えているのよ!
そんな傲慢な想いから発せられた感情など、薄汚くにごった愛情でしかない。

愛情のレベルからしたら最低ランクだ。
どんな相手にでも生じる感情なのだ。簡単に沸き起こる感情なのだ。

この同情という感情は、基準が自己内面にない。
基準が表なのだ。どう見られているかが基準なのだ。

同情という感情が湧き上がり、それを示したとき、ヒトは自己満足する。
不特定多数に向けての感情ならば、それは何の問題も無い。

ただ、それが特定の人物に降り注がれた時、しかもそれが恋愛感情と取り違えて生じたとき、それは双方にとって不幸以外の何物でもない。

おまけにどちらもその事に気づかないとき、行き着く先は不幸への特急列車となるだろう。

私たちはその特急列車のキップを握っていたのだ。



愛し愛されるということがどんなことなのか、その時点の私には真実は見えていなかった。このときの状況が愛し愛されるという関係なのだと思い込んでいた。
posted by Rr at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

同情と愛情の間で

必死に彼を好きなんだと、自分に暗示をかけ続けていた日々。

きっと私は幸せなんだと思い込もうとしていた日々。

不思議なもので、そうやって自分の本当の気持ちを見つめることなく、自分を演じ続けていると、本当にそうなんだと思えるようになってくる。

ある種のマインドコントロールといえるのだろう。

そうなると、もう目が見えていないも同然の状態だった。

世間知らずということもあったのだろうけれど、それ以上に、私にとって初めての男性、ということが一番効いていたのだと思う。

私は、現代においては、いわば古風な考え方の持ち主といえるだろう。

結婚するまでは、身体を守りたい、そう思っていたのだから。

その考えに縛られていたゆえ、初めての男性に固執したのかもしれない。
好きか、愛があるか、そんなことを考えもせず、ただ、捧げてしまったのだから好きにならなければならない。
そう無意識に思い込んでいた。



彼を好きだという思い込みが成功した頃、私はある事実に気が付いた。

彼は、決して優れた人物ではなく、まして、普通の人間でもなかったということ。

彼は一人前に仕事をこなす人ではなかった。
でも、見栄は張りたい。お金も湯水のごとく使いたい。

でも、働きたくはない。。。


そんな彼が生活できていたのは、実家の家業を手伝っていたからだった。
だから、そこで大きな顔もでき、それなりの権力も持っていた。



そんなことに気が付いた時は、すでに手遅れだった。

だって、もう好きだと思い込んでいたから。


そんな彼を、なんとか立ち直らせようと私は必死だった。

驚くほどの多額の借金、仕事をしない怠惰な生活。。。


支えて、なんとか立ち直らせようと必死だった。

このまま、この人を放っておいたらこの人は絶対にだめになってしまう。
私がいなくなったら、きっとこの人は落ちるところまで落ちてしまう。

私は、一歩高い位置から彼を見下していた。
そう、見下していたのだ。

一方で、好きだと思い込み、一方で見下していた。
そうやって私は精神のバランスを取っていたのかもしれない。

そうしなければ、私は彼を好きでいることが出来なかったのだ。
同情という愛情でしか、彼の側に居ることが出来なかったのだ。



同情は何も産まない。
同情は所詮、同情なのだ。自分勝手な最低レベルの愛。

繋がりは、相手が自分より低いレベルに居るという状態だけ。
それでしか繋がっていられないのだ。

それは、同時にあらゆる勘違いも生じる。

そう、相手の優れた部分すら見えなくなってしまうということ。

私は全てのことで優位に立っていた。いや、立とうとしていた。



歯車は狂い始めていた。

所詮、紛い物の愛、時間の問題だった。
posted by Rr at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

初めての夜

出会いは、必然だったのだろうか。

今思い返すと、必然になってしまった、というのが正直な思いだ。

偶然だったはずの出会いを必然に変えてしまったのは、私自身。
私の現実認識力の欠如が生み出したこと。



高校を卒業して、初めての一人暮らし。
上京して、初めての職場で、初めての社会人としての毎日。

田舎育ちの私は、奥手で男性とお付き合いをしたことも無かった。

そんな私が、男社会の職場へと派遣されたのだ。
18歳になったばかりの田舎娘が、男性中心の会社で、しかも住み込み。
おまけに、その職場で女の子の住み込みは初めての試みだった。

おかげで、物珍しさも手伝って、
四六時中、いろんな男性に囲まれて仕事をし、生活していた。

そんな中、強烈なアプローチをかけてくる一人の男性が居た。
率先して、休みの日まで出社して私の仕事の手伝いにきたり、飲みに誘ったり。
正直、私はその強引さに閉口していた。

おなじとき、別な男性は静かにアプローチしてきた。
一人で居ると話しかけてきたり、荷物を運んでくれたり。
私はただの親切な人だと思っていた。
後に、直接、「好きだったんだ」と言われてひどく驚いたのだった。

私が生涯で一番男性に声をかけられた時期があるのかと問われれば、この時だとはっきり言えるくらいだ。

そして、そんな風にいろいろな男性に、ただ物珍しさが強いがために付きまとわれていた私を、ひょいっと救ってくれたのが、今は【元】となったダンナだった。

会社でも上司であった彼は、いわばその立場を利用して、私に付きまとわないように対策を講じてくれたのだった。
そのかわり、今度は彼が私に付きまとい始めたことに私は気が付かなかった。

赤い外車を乗り回し、休みのたびに、寮にいるといろいろと煩わしいからと、いろいろなところへ連れて行ってくれて、私はすっかり安心していた。

田舎から出てきたばかりの私にとって、東京は魅力溢れる世界だった。
そんな東京を、優雅に案内してくれる彼は、私にとっていいお兄さんだった。

赤い外車で渋谷の交差点を横切ったり、湾岸高速を飛ばしたり。
それは田舎娘にとって、刺激が強すぎる体験だった。

私は自分を見失っていた。
その雰囲気に酔っていた。
今にして思えば、なんと世間知らずだったことか。



あるとき、いつものように食事して帰ってくると、彼は酔っ払って居間で寝込んでしまった。まだ肌寒い日、風邪を引いたら大変だと思った私は、何度か起こそうと試みた。
しかし、かなりの量を飲んでいた彼は、簡単に目覚めるはずも無く、そのうち私も眠くなり、不覚にも隣で寝込んでしまった。

そして、夜半過ぎ、出来事は突然だった。
あっという間に唇を奪われ、組み敷かれてしまった。

ふと頭をよぎったのは、「断われない」という思いだった。

ここで、拒否して逃げるということは、私には選択できなかった。

彼を好きかどうか、そんなことを考える間もなく、無情にも時は過ぎていく。
途中、「いいのか」と聞かれても、頷くしかできなかった。

なし崩し的に処女を奪われた私は、自分を保つために思い込んだ。
「私はきっと、彼のことが好きなんだ」と。

そうすることでしか、自分の精神を保つことが思いつかなかった。

だからひたすらに、彼の優れていると思われる点を探し出し、ステキだと思えるように、ひたすら、努力していた。


周りの人間も、四六時中一緒に行動していた私たちを見て、普通に付き合っているんだろうと思っていたから、私に相談できる相手は居なかった。

実家の両親には申し訳なくて、とても言えなかった。

友人にも、とても相談できなかった。



でも、不思議なもので、恋愛感情など全く無かったのに、ひたすら好きになろうと努力したり、同じ空間に長く一緒に居ると、自然と【情】が湧いてくる。妙な連帯感が生じてくる。

私はここでも、間違いを犯していた。

【情】と【愛】とは、似て非なるものであるということを、まだ知らなかった。私が彼に感じた【情】は【愛情】ではなかったのだから。
posted by Rr at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 元ダンナとのいきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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